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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)7090号 判決

原告

小笠原正修

被告

蔦交通株式会社

ほか一名

主文

一  被告両名は各自原告に対して金一九四四万五、〇〇〇円及びこれに対する昭和五一年九月四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告その余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告のその余を被告両名の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一申立

(原告)

一  被告らは各自原告に対して金三、九六〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告両名)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決。

第二主張

一  事故の発生

昭和四八年一一月一八日午後九時一〇分頃、東京都世田谷区砧公園一番地先、首都高速道路と環状八号線との交差点を、被告沢井は普通乗用車(足立五五い二三五二号、タクシー、以下「被告車」という)を運転して首都高速上を渋谷方面から直進横断しようとした際、同高速道路を被告車と反対方向である東名高速道路から環状八号線方面に右折進行して来た原告運転の自動二輪車(以下「原告単車」という。)に被告車を衝突せしめ、原告に後記傷害を負わせた。

二  責任原因

被告会社は、被告車の保有者であるから自賠法三条により原告の本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある。

被告沢井は、本件事故は同被告の次のごとき過失によつて生じたものであるから、不法行為者としてやはり賠償責任がある。

すなわち事故が発生した本件交差点は、直進禁止、右折専用で、その旨の公安委員会の定める道路標識が設置されていたのにかかわらず、被告沢井はこれを無視して右のとおり直進し、よつて本件事故を生じさせたものである。

三  被害

本件事故により原告は左脛骨、腓骨開放性粉砕骨折、左大腿動脈、静脈損傷、左大腿四頭筋脛骨付着部及び左腓腹筋断裂の重傷を負い、直ちに左大腿部切断の手術を受け、後遺症第四級第四号の後遺症が残ることになつた。

その治療経過は次のとおりである。

(イ)  昭和四八年一一月一八日から同四九年一月二五日までの六九日間下田病院に入院

(ロ)  昭和四九年一月一八日、同年二月四日、同年五月三日、同年六月二八日、の計四日間東京都心身障害者福祉センターに補助具(義肢)装着のため通院

(ハ)  昭和四九年四月二二日から同年七月五日までの七五日間財団法人鉄道弘済会東京身体障害者福祉センターに入院して加療

(ニ)  昭和四九年七月六日から同年九月七日までの六四日中六日間前記福祉センターに通院

(ホ)  昭和四九年九月一日から同年一一月二七日までの三ケ月間、奈良県天理市天理教本部修養課にて歩行訓練をかねて精神修養を行う。但しこの間義足の工合が悪く数日間帰京したことはある。

かくのごとく天理市に赴いたのは、事故後原告は生れもつかぬ不具になつたのをはかなみ精神的動揺が甚だしく、極端な行為に出る恐れがあつたため人生に希望を与えるべく神仏の慈悲に頼らしめるためであつた。これで原告は心の支えを得たものか、幾分しつかりして帰京した。

(ヘ)  昭和五〇年四月一六日から同月二六日までの一一日間義肢修理ソケツト交換のため東京身体障害者福祉センターに宿泊して手当を行う。

なお原告は天理市より帰京して後、在学していた私立目黒高校を通学に堪えざる身となつたため学校側の勧告もあつて残余一年で退学せざるを得なかつた。その後一年休んで昭和五〇年四月一日から都立園芸高校の二年に編入を認められ、夜間定時教育を受け、その間生活のためにアルバイトを探したが、片足切断の身のため殆ど拒絶された。原告は昭和四五年に父親を失なつており、母親は天理教会の奉仕の身で生活に困窮している。そのため加害者に生活の援助を懇請したが聞き入れられなかつた。

四  損害額

(イ)  治療費 一六万一、八九〇円

鉄道弘済会東京身体障害者福祉センター支払分。なお他に加害者からの既払分、国民健康保険給付分がある。

(ロ)  付添看護料 二九万一、〇〇〇円

(1) 下田病院入院中の付添 一八万六、〇〇〇円

昭和四八年一一月一八日から同月二七日までの一〇日間は、近親者等三人が昼夜三交代で付添う、一人当り一日三、〇〇〇円とみて一日分九、〇〇〇円の一〇日分九万円。それ以降は下田病院退院までの五七日間一人もしくは二人が付添う、その合計一七万七、〇〇〇円

(2) 東京都心身障害者福祉センター通院付添 八、〇〇〇円

一日当り二、〇〇〇円とみて四日分

(3) 東京身体障害者福祉センターに入退院する際における付添 四、〇〇〇円

(4) 右福祉センター通院のための付添費 一万二、〇〇〇円

一日当り二、〇〇〇円とみて六日分

(ハ)  入院諸雑費 七万二、〇〇〇円

一日当り五、〇〇〇円とみて下田病院六九日分、東京身体障害者福祉センター七五日分の合計

(ニ)  入退院及び通院の交通費 四万九、〇〇〇円

下田病院退院タクシー代一、〇〇〇円、東京都心身障害福祉センター通院交通費一回四、〇〇〇円の四回分、東京身体障害者福祉センター入退院タクシー代、各八、〇〇〇円、同センター通院交通費一回四、〇〇〇円の六回分

(ホ)  義足代 三〇〇万三、〇〇〇円

片足切断により原告は、右切断部に吸着式義足を装着することになつたが、この義足の耐用年数は通常五年で、その間にも修理を要することがある。そうすると今後五〇年間に少なくとも一〇回は取替える必要があるところ、一回二三万円を要するので合計二三〇万円となる。

そして義足をつけた場合に靴下、靴の損耗がはげしくなり、その費用、並びに義足の修理代もあり、これらの費用として七〇万円をもつて相当とする。

なお義足取付まで松葉杖を必要としたが、その費用は三、〇〇〇円であつた。

(ヘ)  天理教修養科入学費他 一二万〇、一八〇円

内訳は月謝宿泊費等五万九、五〇〇円、宿泊に伴なう衣料品等の雑費二万三、九〇〇円、交通費三万六、七八〇円(原告本人一往復一万二、二六〇円、付添人二往復二万四、五二〇円)

(ト)  学校関係費 二七万八、六四〇円

原告は本件事故による後遺症のため前記のとおり昭和四九年三月三一日に私立目黒高校を二年で退学し、一年休んで昭和五〇年四月に都立園芸高校夜間部二年に入学した。この学校は普通高校に比べ一年在学期間が長い。そのため授業料、給食費等一年間の在学に要する費用三万二、六四〇円、通学のための費用一五万円(一ケ月平均一万五、〇〇〇円の一〇ケ月分)、二年生に二回在学することになつたので目黒高校二年生の授業料九万六、〇〇〇円、の合計二七万八、六四〇円の損失を蒙つた。

(チ)  居室その他の改造費用 三〇万六、五三〇円

原告の居住に適するようにベツドを備え付け、便所風呂場等の改造を行つたが、その費用は、ベツド備付等改造費用二〇万円、便所風呂場の改造費一〇万六、五三〇円であつた。

(リ)  逸失利益 二、九三八万八、六七一円

原告の義足は適合が遅れ、最終的に患部に安定したのは昭和五〇年四月であつた。

この時点から六七歳までの逸失利益を算出するに、昭和四九年度の男子平均賃金は年間一七五万八、二〇〇円であるところ、原告の後遺障害等級に鑑み労働能力の九二パーセントを喪うと考えられるので右期間この割合で収入を喪うとみてこれをライプニツツ方式により現価に引直すと右金額となる。

(ヌ)  慰藉料 八八七万円

本件事故のため原告は入院並びに義足適合のための宿泊治療一五五日間、天理教修養科三ケ月、通院期間約一〇ケ月を要し、且つ前記後遺症が残るところとなつた。入通院分の慰藉料一五〇万円、後遺症分の慰藉料として七三七万円を相当とする。

(ル)  弁護士費用 五〇万円

原告は加害者に賠償請求をしたが、相手方はこれに応じないのでやむなく弁護士に委任して本訴を提起したが、その際右金額を支払つた。

(オ) 損害の填補

原告は自賠責保険から後遺障害補償として三四三万円の支払を受けた。

五  結論

よつて被告ら各自に対して原告は損害残三、九六〇万円(端数切捨)及びこれに対する本訴状送達の翌日以降支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めて本訴に及んだ次第である。

「抗弁に対する答弁」

一  原告に被告ら主張のごとき過失はなかつた。

二  被告らからその主張のごとき治療費、付添費を受領したことは認めるが、いずれも本訴請求外である。

(被告ら)

「請求原因に対する答弁」

請求原因一、二項は認める。

同三項は不知。

同四項中、原告が自賠責保険から三四三万円の支払を受けたことは認めるが、その余の事実は不知。特に天理教修養科に入所する必要があつた点については因果関係を争い、また夜間高校へ入学したための一年間の学校関係費用が損害であることも争う。次に義足に関する損害については耐用年数、修理代、靴の損耗と不確定な要素が多い。また二三万円の吸着式義足を五年毎に装着すると、ライプニツツ方式により現価に引直すべきで、そうすると別紙(一)義足代計算表のとおり一、一〇万七、三一八円となる。また逸失利益の算出にあたつても労働能力喪失割合は五〇パーセント程度とみるべきであり、また慰藉料についても入、通院日数、後遺障害の程度に鑑み七〇〇万円をもつて相当とする。

「過失相殺の抗弁」

本件事故発生について原告においても次のごとき過失があるので原告の総損害額について相当な過失相殺がなされるべきである。

すなわちまず原告は事故当時運転資格を有していなかつた事実がある。無免許運転自体が直接過失の有無、程度に影響するものとはいえないにせよ、その資格がないということは運転行為(技能、交通法意識、車両の把握等)に欠陥があるということに帰し、交通事故発生にあたつてはそれ自体が事故発生原因の重大な要素として考慮されるべきである。

なぜなら、このような者は車両を運転すること自体不適格者であると判定を下されており、これに違反して運転することは、危険性がある車両による交通事故の発生の可能性を充分に認識できるところであるからである。そうするとかかる事情を承知しながら運転し、事故の発生を招くに至つたこと自体当然に非難さるべきである。

本件についてみれば原告は事故当日が初めての運転というのであるから、これまで全く運転経験を持たなかつたのであり、操縦の難しい大型二輪車を見通しのよくない夜間に運転したのであるから無謀な運転であつたというべきである。

次に原告には前方注視を怠つた過失がある。本件交差点は四方大通りであるにもかかわらず対向進路からは直進禁止という変則交差点であり、従つて標識の見落し、迂回の不便を感じて敢えて対向進路から直進する車両が往々にあり、特に事故当日は日曜日で車両の通行量も少ないことからこのような車両があることは当然に予想されるところであつた。よつて原告としては対向方面から進行する車の有無を充分に確かめつつ右折進行すべきであつたのに被告車の発進のみを認めたのみでその後の動静に注意せず、衝突直前に至つて停止寸前の被告車を認めたのであるから、原告には前方または通行車両の安全を確認しなかつた過失がある。

このことは事故態様にも現われており、衝突の状況、原告の転倒地点等からすると原告単車は交差点手前の停止地点から発進して衝突地点では時速約四〇キロになつており、かなりの速度で進行したことがうかがわれるのであり、被告車を含め他車の存在を無視して走行したことは明らかである。

以上の諸事情を考慮すると、本件事故の過失割合は、原告四、被告六と認定するのが妥当と考える。

「弁済の抗弁」

被告会社は原告に本訴請求外の治療費五三万二、五八一円、付添費一万四、〇四〇円を支払つている。よつて賠償額の算定には右金額を加算して総損害を計算し、そこから過失相殺をして、右金員を含む填補分を控除すべきである。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因一、二項は当事者間に争いがないので、被告会社は運行供用者として自賠法三条により、被告沢井は不法行為者として、それぞれ本件事故により原告が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

二  しかるところ被告らは、原告にも本件事故発生につき過失があつた旨主張するので、まずこの点を検討しておくに、成立につき争いのない乙第三号証、同第四号証の一ないし三、同第五号証、同第六号証の一、二、同第七号証、同第八号証の一ないし九、同第九号証の一ないし四、同第一〇号証の一ないし七、同第一一ないし第一八号証、同第一九号証の一ないし七、同第二〇号証、原告本人尋問、被告沢井忠夫本人尋問の各結果を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件事故現場は、ほぼ南北に走る環状八号線が、東は首都高速道路出入口へ、西は東名高速道路出入口へ、と向うほぼ東西に走る道路と交わる交差点上で、事故は、原告単車が西側の東名高速道路出口方面から本件交差点を右折して南へ向かおうとした際に、首都高速道路用賀ランプ出口方面から東名高速道路入口方面へと本件交差点を東から西へと直進横断しようとした被告車と衝突したものである(事故態様の点は当事者間に争いがない)。

東西道路の中央部分は、上を走る高架道路の支柱を囲んだ分離帯となつており、また交差点西側及び北側入口に歩道橋が設置されているが、付近の道路状況、衝突に至るまでの原・被告車の経路は、大略別紙図面のとおりである。

(二)  現場付近は平担でアスフアルト舗装されており、また事故は夜間であつたが照明が多く一〇〇メートル先まで見通せる状態であつた。

被告車が出て来た首都高速道路出口からは環状八号線を直進横断することは禁止されており、従つて同方向から進行して来た場合、本件交差点手前にある三角形の交通島を右に入れば本件交差点を右折しなければならないようになつている。かくのごとく右折のみ可で、指定方向外進行禁止となつていることは、この三角形の交通島の手前の道路上、並びに後記のとおり被告車が信号待をした本件交差点入口にある一時停止の白線の手前の道路上に、いずれも白ペンキのの矢印で示してあり、さらにこの一時停止線で停車すると丁度正面となる歩道橋の側壁にの矢印の標識が設置してある。これに加え一時停止線の左端から交差点中央付近まで白ペンキの点線の進行方向指導線が表示してある。

なお同じ進行方向指導線が、後記のとおり原告単車が一時停止した東名高速道路出口の一時停止線の左端から本件交差点中央付近まで表示してある。

(三)  当時被告沢井は、被告会社でタクシー運転手として働いており、この時も上野で被告車に客を乗せ、川崎市登戸に赴くべく首都高速道路から用賀ランプ出口を経て本件交差点に差しかかつたものであるが、本件交差点は初めてであつた。

そして同被告は、最初三角形の交通島を左に曲つて環状八号線に入ろうとしたのであるが、乗客から本件交差点を直進横断して東名高速道路入口方面へ行くのが順路である旨指示された。同被告はこの指示に何らの疑いも持たずに、既に交通島を左に入つていたのを被告車を後退させてこれを右に入り本件交差点を横断しようとしたが、この時交差点南西角の信号(A)が赤だつたので交差点入口の一時停止の白線の所(〈1〉)で停車したのであるが、この間前記道路上の白ペンキのの矢印、進行方向指導線及び歩道橋側壁の標識にまつたく気付かないままであつた。

停車後右信号はすぐ青になつたので被告佐野は発進したところ、環状八号線の中央車線の手前約五メートルに達つした所で、反対車線を右折進行して来る車両があることから初めて歩道橋側壁の交通標識を発見し、制動措置をとつたのであるが及ばず、中央車線付近で被告車の左前部角のフエンダーに東名高速道路出口方面から右折進行して来た原告単車の左側面を衝突させるに至つた。

(四)  原告は、原告単車(五〇〇CC)を運転して東名高速道路出口方面から本件交差点に差しかかりこれを右折して瀬田方面に向かおうとしたのであるが、信号が赤だつたので一時停止線の所で停車したが、その位置は右折車道の左端の所であつた。そしてこの時被告車が首都高速道路出口から来て一旦左折車道に入りながら後退して右折車道に入り直して一時停止線の所に停車したのを認めたのであるが、原告は本件交差点が横断できないことを知つていたので、被告車は当然右折するものと思つていたので、これに注意を払わなかつた。

信号が青になるや、原告は瀬田方面に向つて右折発進したが、この時被告車が発進するのを認めた。しかし自車の車首が瀬田方面を向いた〈ロ〉付近に達つした頃には被告車は当然右折するものと考えていたのでこれから目を離し、自車線に入るべく時速約三五キロ位に加速したところ、自車線に進入する直前の〈ハ〉付近で前方三、四メートルの所に交差点を直進横断して来る被告車を認めた。原告は急制動をかけると共に身体を右に傾むけたのであるが及ばず衝突に至り、衝突後約三メートル進行した地点で原告単車は転倒し、さらに約一〇メートル滑走して原告は路上に投げ出された。

なお事故後約三五分頃に行なわれた警察官による実況見分の際には、衝突地点たる中央車線付近には土、塗料、片肉等が散乱し、また原告単車が転倒して滑走した付近には擦過痕が数十本点在していた。

(五)  原告は、事故直前の夏休みを利用して自動車教習所に通つたのであるが、卒業の実技試験に合格せず、事故当時運転免許を持つていなかつたのであるが、近々合格するとの判断のもとに原告単車を購入し、これを乗り回していたものである。

他方被告は運転免許を有するが、昭和三五年頃から同四三年頃までの間に約二〇回に及ぶ業務上過失傷害及び道路交通法違反を犯しているが、内少なくとも二回は今回と類似の指定通行違反である。

三  原告主張のごとく本件事故発生の原因の大半が被告沢井の指定方向外進行禁止の標識を見落し、進路の安全確認不充分のまま本件交差点を直進横断しようとした過失に起因することは右認定事実から明らかである。しかしながら原告においても自車の車首が瀬田方面を向いた別紙図面〈ロ〉付近から被告車を見ていないのであるが、被告車が原告単車の進路を遮ぎるような形で進行していたことを考慮すると原告は前方を注視していなかつたものと認められる。

原告の右過失も本件事故発生の原因となつていることは明らかであり、且つ原告は当時無免許で運転技術も未熟であつたと推認されるところである。もつとも前認定のとおり被告車が進行した本件交差点東側入口付近には指定方向外進行禁止の標識が種々設置してあり、これを見落した被告沢井の過失は極めて大きいものである。

右のごとき双方の過失、本件事故の態様、等を考慮し、原告の損害額の二割を減ずる限度で原告の過失を斟酌することとする。

四  そこで次に本件事故により原告の蒙つた被害についてみるに成立につき争いのない甲第三ないし第七号証、同第八号証の一、二、同第九ないし第二七号証、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すると、原告は本件事故後直ちに都内世田谷区所在の下田病院に運ばれたが、この時出血多量でシヨツク症状にあつたこと、そして同病院で左脛骨腓骨開放性粉砕骨折、左大腿動脈静脈損傷、左大腿四頭股筋脛骨付着部及び左腓腹筋断裂の傷害を受けていて左大腿部切断の必要があるとのことで、深夜三時間余かけて左大腿部を膝上一〇センチ位のところから切断するという手術を受け、その後昭和四九年一月二五日までの間入院して治療を受けたこと(この間一時帰宅したこともあるので入院日数は六九日である)、そしてこの入院中の昭和四九年一月一八日から退院後の同年六月二八日までの間原告主張どおり四回にわたつて都内新宿区所在の東京都心身障害者福祉センター相談課に、身体障害者手帳の交付、厚生施設入所の準備、義肢仮合せ等のために通院し、さらに同相談課の紹介でやはり都内新宿区所在の財団法人鉄道弘済会東京身体障害者福祉センターに機能回復訓練と義肢を作る準備のため、原告主張どおり昭和四九年四月二二日から同年七月五日までの間入院し、同年七月六日から同年九月七日までの六四日中六日間通院し、その後昭和五〇年四月一六日から同月二六日までの一一日間入院して手当を受けたこと、片足を失つたことにより原告は多大の衝激を受けて消沈していたところ、原告の母が天理教に関係していることから、母及び友人の勧めで奈良県天理市内の天理教修養課に昭和四九年九月一日から同年一一月二七日までの間入所して精神修養並びに機能回復に務めたが(この間前記福祉センター通院のため一時帰京したことがある)、その結果退所時には一キロ位歩行できるようになつたこと、原告の義肢は現在代金二三万円、耐用年数五年で、五年毎に新調する必要があり、また義肢を着用したことにより便所浴室を改築したが、そのほか靴、靴下の損耗が激しく靴下については三日で穴があいてしまうこと、原告は昭和三一年一一月二二日生れで事故当時私立目黒高校二年生であつたが、右のとおり入通院を重ねたことや身体障害者となつたことから昭和四九年三月三一日に同校を自主退学し、その後翌昭和五〇年四月一日に定時制(四年制)の都立高等学校(都内世田谷区深沢所在)普通科二年に編入学した現在昼間はアルバイトをしながら通学していること、の各事実が認められる。

五  右事実を前提として本件事故による原告の損害を算定すると次のとおりとなる。

(一)  治療費等(国民保険による分を除く総額) 六九万九、四七一円

下田病院分五三万二、五八一円(前記甲第五ないし第七号証による)、財団法人鉄道弘済会東京身体障害者福祉センター分一六万一、八九〇円(前記甲第八号証の一、二、同第九ないし第一三号証による)、足の処理代五、〇〇〇円(前記第一五号証)

(二)  松葉杖代 三、〇〇〇円

義肢を付着するまで原告は松葉杖を使用したが、その代金は前記甲第一四号証によれば右金額である。

(三)  付添看護料 二四万〇、五〇〇円

前記甲第四号証によると原告は下田病院に入院した当初は重症のため常時看視を必要とし、その後も介助を要したこと、また原告の症状に鑑み東京都心身障害者福祉センター相談課、財団法人鉄道弘済会東京身体障害者福祉センターに入通院するについても付添を要したと認められる。右付添には原告の母親ら近親者があたつたと推認されるのでその費用は、入院付添については一人一日当り二、五〇〇円、通院等については一回一人一、五〇〇円をもつて相当とし、且つ右事実からすると下田病院に入院した当初の一〇日間については昼夜とも付添を必要としたので三人でこれにあたつたと認められ、よつて次のとおり付添費用の総額は二四万〇、五〇〇円となる。

(内訳)

下田病院入院付添分二二万二、五〇〇円

(イ) 当初一〇日間(三人付添) 七万五、〇〇〇円

(ロ) 残り五九日間(一人付添) 一四万七、五〇〇円

東京都心身障害者福祉センター相談課通院付添分(四回)

財団法人鉄道弘済会東京身体障害者福祉センター分(入退院付添各一回、通院付添六回)

(四)  入院諸雑費 七万二、〇〇〇円

前記のとおり原告は下田病院に六九日、財団法人鉄道弘済会東京身体障害者福祉センターに七五日、と合計一四四日間入院しており、その間原告主張どおり一日当り五〇〇円の諸雑費を要したと認められ、よつて右金額の損害を蒙つたこととなる。

(五)  通院等の交通費 四万九、〇〇〇円

原告の症状に鑑み原告が下田病院から退院する際、右福祉センター相談課、及び福祉センターへの通院あるいは入退院についてタクシーを利用する必要があつたことは明らかであり、そして原告方住居と右各病院の所在地からすると原告主張どおりの右金額を要したと認められる。

(六)  居住その他の改造費用 三〇万六、五三〇円

前記甲第二一、第二二号証によれば、原告のため居室を改造等した費用は右金額であることが認められる。

(七)  学校関係費、天理教修養科入学費等について

原告は、本件事故により右各損害を蒙つたと主張する。しかし学校関係費は、事故当時原告が通学していた目黒高校は私立で一ケ月八、〇〇〇円の授業料等を必要としたところ(前記甲第一六、第一七号証による)、編入学した都立園芸高校は、一年間の授業料等の額は一万一、四四〇円(但し給食費は除く)と低額である。そうすると原告の卒業が遅れる点はともかく授業料の負担において原告が損害を蒙つたとは認められない。また通学費についても双方の学校の距離を対比すると編入の結果原告に損失が生じたとは認められない。

次に天理教修養科に入学するに要した費用についても、その入学が原告にとつて無意味でなかつたことは前認定のとおりであるが、入学の主たる目的は本件事故による精神的衝激を癒すことにあつたのであるから生じた費用は後記慰藉料によつて填補されるとみるのを相当とし、独立の損害とは認められないところである。

以上の次第で原告が請求する右各損害はこれを認めることはできない。

(八)  義足代等 一三三万〇、三六二円

義肢は二三万円を要するところ、原告はこれを昭和四九年、一八歳の時に吸着し、以後五年毎に取替える必要があることは前認定のとおりである。そうするとこの費用をライプニツツ方式によつて中間利息を控除して現価に引直すと被告主張のとおり一一〇万七、五八一円となる(別表参照)。

次に義肢を吸着したことによる靴、靴下等が消耗することによる損失については、その額が判然としないのでこれを控え目に年間一万二、〇〇〇円(月額一、〇〇〇円)とみることとする。原告の平均余命等を参酌して、今後五四年間この額の損失を蒙るとみてライプニツツ方式によつてこれを現価に引直すと二二万二、七八一円となる(係数一八・五六五一)。

そうすると義肢を吸着したことによる損害は右合計の一三三万〇、三六二円となる。

(九)  逸失利益

前認定事実からすると、原告は都立園芸高校に編入学した昭和五〇年四月頃に片足切断による後遺症状が固定したと認められる。

ところで原告において仮に本件事故にあわなければこの症状固定時に高校を満一八歳で卒業し、以後就労可能な年限まで高等学校卒業の男子労働者程度の収入は得られたと推認される。他方後遺障害による労働能力低下を原因とする原告の収入減は、原告において義肢に順応することや、適当な職業を選ぶことによつてある程度回復すると考えられる。

右各事実を勘案し、原告は、昭和五〇年四月から二〇歳になるまでの二年間は昭和五〇年度賃金センサス高卒一八歳から二〇歳までの平均年収の八〇%を、その後五年間は同じく二一歳から二五歳までの年収の六〇%を、その後就労可能年限と推認し得る六七歳に達するまでの四二年間は平均して右センサス高卒平均賃金の四五%を、それぞれ喪失するとみるのを相当とする。ライプニツツ方式によつてこれを現価に引直すと、別紙(二)逸失利益計算表のとおり一七九五万一、八九五円となる。

(一〇)  慰藉料 八〇〇万円

前認定の原告の傷害の部位、程度、治療並びに社会復帰のための訓練、後遺障害の程度を勘案すると慰藉料は右額(入・通院分等一五〇万円、後遺症分六五〇万円)をもつて相当とする。

(一一)  過失相殺、損害の填補

右各損害の合計は、二、八六五万二七五八円となるところ前記原告の過失を斟酌してその二割を減じた二、二九二万二、二〇六円につき原告は被告に対して賠償請求権を有することになる。

しかるところ原告において自賠責保険金三四三万円及び被告会社から合計五四万六、六二一円の総計三九七万六、六二一円の損害の填補を受けたことは自認しているので右賠償請求額からこれを差引くと一八九四万五、〇〇〇円(一〇〇〇円以下切捨)となる。

(一二)  弁護士費用 五〇万円

本件訴訟の経緯、事案の内容、請求認容額からすると、原告請求の右額の弁護士費用は、本件事故と因果関係のある損害と認めて相当である。

六  以上の次第で原告の本訴請求は被告各自に対して右合計一、九四四万五、〇〇〇円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和五一年九月四日以降完済に至るまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部崇明)

(一) 義肢代計算表

〈省略〉

(二) 逸失利益計算表

〈1〉 (8万3,800円×12+11万1,900円)×1.8594×0.8=166万2,303円

〈2〉 (10万1,200円×12+34万2,500円)×(5.7865-1.8594)×0.6=366万8,274円

〈3〉 (14万3,100円×12+54万7,900円)×(18.1687-5.7863)×0.45=1,262万1,318円

〈1〉+〈2〉+〈3〉=1,795万1,895円

別紙 図面

〈省略〉

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